直列つなぎ。 -とある発達障害者の記録

知識と知識を繋ぐためのblog。 広汎性発達と診断されました。ぜんぜん役に立ってないけど。月収13万円、家賃4万円で生活するひつじ人間。

ネット上で会話を成立させるということ


 ネット上で親密な関係を作るのって、意外と難しいことだ。
 自分のように、ネット上で大した表現能力を持たない人間は目立たないし、注目もされない。
 書くネタならいくらでもあるのに・・・・
 

この前はありえない理科の教科書 というのを書店で買ってみた。あぶねーなと思いつつやってみたくなるのが自分でも危うい好奇心・・・・ 書店にはときに未知との出会いがある。ふつうの書店がネット書店に対抗出来るとしたらこの点だろう。 ひつじが草を探すように良書を探している。




 きっと、95年以前の”パソコン通信”の時代は、ユーザーが少数な分、もっと親密なやり取りがあったと思うし、twitter黎明期の時代は「東京で気軽に他人と飲みに行く」ってのが出来てた(ニートの歩き方 に詳しい)。


 オレなんか、コメントはしても反論とかされんのが面倒で放っとく........... なんてしょっちゅうやってる。
 一言「参考になります」でもいいのかも知れないし、ありがとよ でもいいのかも知れない。
 

 親密な他ユーザーとの関係を築けている例は、ネット上で随所に見られる。
 (後で画像でも入れておきたいところだ)。


 長く独自コンテンツの配信をやってたり、一つ一つ丁寧な対応をしていたり。


 他のカタチはないのか?
 とか
 自分のやり方は通用しないのか?

 というのは、数多くの”挑戦者”たちが抱える懊悩かと思う。



 会話には寛容さや忍耐も必要

 ここ10年の傾向として、ユーザーが低年齢であったり、(それ故かどうかはともかく)未熟であったり、無茶で理屈に合わない要求をしたり、相手を罵倒したり、社会的に無意味な行為に自分なりの価値を見出してみたり・・・・・
 そんな相手と向き合うこともある。そういう輩は昔から居て、今では無視あるいは冷笑が最善策となっている。 (きっとオレも数え切れないほど無視されている)
 

最近では”論破”と称した戯言や、他人の稚拙な一面だけを見て「朝鮮人」呼ばわりする輩も増えている。




 スルーでは会話は始まらないのは確かである。


 多くの場合、会話が成立するには、背景となる目的が共通していることが多い。


 イラスト評価では、「上手ですね」 → 「ありがとうございます」 (以前にひつじの様な素朴な絵だと、馬鹿げたコメントを入れてしまった)


社会的なテーマ(子ども食堂)だと、
 

 に、



 


 なんてのが、「会話が成立している」
 ここでは、相手と同じ目的(ここでは子ども食堂に対して意見を述べるということ)と、共通の認識があり、なおかつ、相手をある程度対等に扱っているという事が見て取れる。


 

見かけは丁寧口調でも、相手の言い分に理解を示さず、全く敬意も払わないなんてのは論外だ。それは会話とは呼ばないし、多分議論にもならない





 オレみたいなのは、「お上頼りにせず、民間で何とかしていく方がいいと思う」などと異を唱えるだろう。
 確かに300円とか高い というか無料にすべきでは・・・・。


 別に、無理して意見らしきものを捻り出す必要は無いし、何も思い浮かばないならスルーで自然だとも思う。 仮に、ここで意見が食い違ったとして、大人の対応が出来るかどうかである。 
 


 

twitter辺りで「草生える」とか「www」とか書くのが流行ってるが、そういうのもやめよう。会話もクソも無い。それも文化だと言うのかも知れないが・・・・


 

 オレの考える「大人の対応」とは、相手を自分と対等に扱うことであり、「大目に見てやろう」という上から目線の話では決してない。それでは建設的な話が出来ない。 相手によっては、多少の尊敬を示す事も必要かもしれないが。

 要するに、「一定の同意」や「譲歩」といった外交上のテクニックのことだ。こうした事は、一般的日本人全般が苦手であると言えるのかもしれない。儒教的、家父長的観念は未だに根強く、若者の間でも「先輩後輩関係」に象徴されるようなヒエラルキー的な側面が、未だにオレ達の多くを捉えて離さない。
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