直列つなぎ。 -とある発達障害者の記録

知識と知識を繋ぐためのblog。 広汎性発達と診断されました。ぜんぜん役に立ってないけど。月収13万円、家賃4万円で生活するひつじ人間。

どんなマンガが有害か ─前提条件の考察


 マンガ、イラスト、実写問わず、残酷な描写を持つ作品というのは無数にある。
hunter × hunterなんて相当えぐい殺人描写があるし、最近では「予告犯」なんてのが、ありそうでなかったweb犯罪を描写している。 ”ゾンビもの”は残酷な殺人描写の連続だし、「Death Note」を始め、現代社会を舞台にした殺人モノはかなりの数あると思う。


 また”いじめ”や”スクールカースト”をコンテキストとして持った作品も見逃せない。そこの登場するキャラクターは無邪気な顔をして暴力を正当化し、蛮族よろしく弱い生徒から金を搾り取り、日常的に虐待を加えるのが当たり前となっている。こんな「北斗の拳」張りの前時代的な行為が未だに肯定されるという事実を考えると、日本の時代はあんまり進んでないんだなぁと感じる。

 子どもは人間ではなく、過去を学習することによって人間性を獲得するのだ。
 
 
 考えても見てほしい。先人たちは社会的な序列という束縛から逃れ、大多数にとって平等で自由な社会を実現しようとしてきた。未来の子孫の為に、そして今を生きる人々の為に。それを暴力によって逆行させていい筈がない。「北斗の拳」はもはやギャグの世界だし、正当な理由なく個人を貶める行為を肯定するというのは社会的な生産性を低下させるだろう。



 個人ないし集団が暴力ないし殺人を肯定する思想を持つ ─ これは紛れもなく悪であるように思われる。暴力を肯定する事は、自分の視座のみが正しいという幼稚な全能感に基づいた強制を他に課すという事である。自己を肯定する事は生きていく上で欠かせないが、他人を否定する事とイコールではないのだ。
 また、一方的な暴力を振るう自由などというものはない。自由とは相互干渉的な観念であり、他者の自由を尊重するという事は自分の自由を尊重する事なのである。
 



 そして、「暴力」とは腕力を振るうだけとは限らないという事に注意が必要だ。単なる言葉や集団的、心理的圧力で十分に個人にPTSDを発症させうる。個人的には炎上ほどくだらない代物はないと考えるが、それによって定職に就く事さえ制限されると考える人も居るし、女性は様々な暴力の標的になりやすい。web上の恥は残り続けると考える人間は多い。



 どんなマンガが有害か?
 Death Noteでは、最終的には主人公は敗北し、自身の死を以て物語は終了した。誰もが分かりやすい勧善懲悪的な結末だ。
 しかしながら、月収13万程度の派遣社員と、月収120万程度の医師、両者がこの本を読んで、主人公と同じ思想を持たないという保証はどこにもない。自分だけは掻い潜れるなどと考えてもおかしくはないし、己が死んでも成し遂げるべき社会的義務だと考えるかも知れない。

 派遣社員も医師も、同じだけのストレスに晒され、歪んだ善悪論を持ち、独善的に行動する素地がないとは誰にも言えないのだ。 


マンガとして
 影響される or されない?
 
 暴力描写が含まれた作品に魅せられるか、そこから教訓を引き出すかは個人に掛かっている。殺人可能な立場や能力を手に入れた場合、それを行使するという誘惑に人は引き寄せられる事がある。自分の欲望を満たし、自分の抱えているトラブルを解決する手段となり得るからだ。ヤクザなどはその典型かも知れない。


強者を肯定するか
 強者の定義も様々であろうが、だからといって傍若無人な振る舞いが肯定される訳ではない。法の保護が直ちに働かない空間があるからといって、如何なる意味でも暴力的な行為は肯定されえない。


 それは人権をはく奪する行為であり、社会的生産性を損ない、人的資源を損失する事に繋がるからである。また、生き方も人それぞれであり、トレーラーハウスに住もうとビニールハウスに住もうと個人の自由だろう、他人の自由を尊重出来る範囲において。



 マンガの特性としての有害性
 
マンガはコマ毎に、ワンシーン毎にショッキングな描写がなされ、それはダイレクトに未熟な脳に働きかける。多くの描写は人間に再現可能であり、そういう意味では幼女誘拐という報道一つでも人間は簡単に影響され得る。
 
 この際、幼女誘拐を例に取ってみよう。
 これを何らかの形で目にして、自分がやりたいと思うか否か?

 ・普段、2chのまとめblogを読んでるようなヤツならやりたいと思うんだろうなぁ(偏見)。
 ・性癖や性格によってはやりたいと思うのかもしれない
 ・幼女を囲う事に性的快感を覚える
 ・そういう作品を普段よく読んでいる・視聴している

 言うまでもないかもしれないが、「そういう作品を普段よく読んでいる・視聴している」というのは単なる一因子に過ぎない。むしろ、快感を覚える、それを実行可能な立場である、そういう行為を肯定している(否定していない)。これらの方がよっぽど危険である。



 むしろ、こういう作品を観ることで不健全な欲求を発散する方が余程まともなのかも知れない。
性犯罪常習者はAVを観るか?
 https://www.nishinippon.co.jp/feature/sexual_violence/article/207527/

 

 現実と区別がつかなくなる
 
「ありうる」と言わざる負えないと思う。箍(タガ)が外れると、その欲求が顕在化してくる。
 相手の事を推測するとか、思いやる、幸福を考えるという観念がねじ曲がってしまうという可能性はある。自分の姿さえ見えなくなることもあるだろう。
 

 性犯罪に限らず、そういった犯罪行動は「とりまく現実」というものに対する一種の攻撃である。人間の自己肯定、自己保存という前提が満たされなくなったとき、人は犯罪を犯す。これは「あるべき模範」だけでは決して抑え切れないものがある。不満だからこそ満たそうとするのだ。


 早い話、「屑は殺すべき」みたいな極端な思考回路を持っていると、関連する描写や残虐表現を見ることで、雪だるま式に持論を補強したり、行動への後押しになってしまうのではないか。

 そうなること自体が、精神的な防壁を持たない未熟な脳だと言えると思うのだが。


関連記事
スポンサーサイト

 Category: None

0 Comments

Leave a comment