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直列つなぎ。 -とある発達障害者の記録

知識と知識を繋ぐためのblog。 広汎性発達と診断されました。ぜんぜん役に立ってないけど。月収13万円(うち手取り11万)、家賃4万円で生活するひつじ人間。モウマンタイ。

  

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恵みとやらに支えられて

 最近、Twitter上では憎まれ口ばかり叩いているので本当に嫌われたらしく、アクセス数とかガタ落ちで笑える。 妙なもので、相手が嫌みったらしい冷笑家にしか見えないときがあるのだが、本当にそうだって事もあれば違うって事もある。


 人を本当に傷つけるのは傷付いた経験があるからだ・・・・脳はそういう記憶を反復する。

 
 学歴社会の中では自分にような人間は本当には受け入れられないし(その割には学歴と能力が一致しないような節もある)、自分がその輪の中に入れないと寂寞感も覚えたりする。


 学校で学ぶ事は役に立たないとされている。一つは、実践に沿った定義を各人で行う必要があるのだが、そういう訓練がされていない点にある。そこは専門学校とか、就職先の役割だという事になっている。 この分野については、バカげた質の低い記事がドヤ顔でアップされていたりするが・・・・読んでいて呆れたものだ。←人の事言えないだろ。 

 
 学校というのは、思春期における特殊な社会だ。そこでは必ず諍いが起こり、いじめが勃発し、毎年のように自殺者が出る。未だに解決出来ないというのがもうアレだが。
 それでも、管理社会みたいにはしたくないのか、いろいろな案はあっても採用されないのかは分からない。


 前提として、教師たった一人がクラスの全生徒について把握するのは不可能だという点がある。
通常は「○○委員」などの役割分担が行われ、その役割を振る形で社会参加させ、管理・統括をしやすくする。


 子供というのは、加減を知らない事がある。間違った認識から、間違った評価をしてしまう。
 その文化的成長は、胚が人間の進化史をなぞるとされるように、原始的認識から文化的認識へと、縄文、江戸、大正、昭和、平成へと進んでいく。


 たとえば「障碍者は全員死ね」という主張は、障碍者を座敷牢に監禁していた江戸?から近代までとなんら変わらない発想だ。そして反対論も、そこから脱するために採られた思想から自ずと繋がっていくのだ。


 なんでこんな事書いてんだ自分。まあいいか。


 子供たちが適切に成長するためには、適切に物事を学び、管理されねばならない。
 単なる暴力の横行を許せば、そのまま文化的退廃につながるし、そういう価値観で認識が固定されてしまう。

 手で触れる事と、殴ることは同じ手を使う行為であっても、全く意味が違うように。


 価値観の固定というのは恐ろしいものだ。そして未だに価値観というものは固定されている。集団の同意が価値を持つ以上、仕方のないことなのかも知れないが。
 自分は何度かそれに挑戦し、無残に敗れてきた。
 
 まあ正しい面も否定はしないし、今となってはどうでもいいか。
 

 学校生活からこのかた、笑顔というものが嫌いなのだ。

 
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